お久しぶりです。
はてなダイアリーに引っ越すことにしました。気分で。
損にも特にもならない長文ですが、読んでくれてる方は再度ブクマおねがいします。
その情報を吸って吐いて、吸って吸って :
http://d.hatena.ne.jp/sirokuma0922/、
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ペプシNEXがキャンペーンしてる 『機動戦士ガンダム BE@RBRICK』 を集めて一ヶ月。
16種類そろったよ!ひゃっほう!
コーラはしばらく飲みたくないよ・・・・・・。
キーチェーン式だから携帯に付けようかと思ったけど、フィルムから出したくない。
どうしようなー。
でもなぁ、付けたいなぁ、見せびらかしたいなぁ。
付けるとしたらどれにしようかなぁ。
無難にシャアザクかなぁ。
とりあえずZ編が出るって聞いたんだけど、それが本当なのかが気になる。
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G.A.W. - [そのた長文]寺ズッキュン! 俺ズコー!この人はおいしそうだなと思ったネタにすぐに飛びかかり、食い散らかして進んでいく。すげえなぁおそろしいなぁとその勢いに呆気に取られるけど、ふと通った道を見てみると、食いかけがものすごい量落ちてる。しかもうまそうなトコだけしか食ってない。今回もそんな感じ。とはいってもまだまだ食えるトコがあるので、すこしもらおうかなと思った。
でも、なんだろうなあ、ここまで文章重ねてなお表現できない違和感ってのは。萌え仏像いいけど、これ拝んじゃったらだめでしょって気がする。だって、人が作ったフィギュアをお寺の住職さんが拝むことによって、ここでは「仏像」たりうる力を与えてるっていうことになる。これ、寺そのものが「拝んでなんかする」っていうシステムでしかありませんよーっていうことの自己表明じゃないですか。あるいはこうもいえる。仏像が本来は「どこかに存在する人智を超えたもの」の力を内包した像だとしますよね。でもここでは「拝む」という行為によって、フィギュアが仏像化するっていう現象が起きてる。そしてそのカラクリそのものは万人の前にあきらかです。
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“仏像を拝むのは許される気がするけど、フィギュアを仏像として拝んじゃダメな気がする。”
つまり 『鰯の頭も信心から』 を、寺屋が言っていいのかという話。
思うに、これは寺というか、仏教に裏切られているのと同じようなものだからではないだろうか。仏像ではなくフィギュアを拝む。建前の話でも、それによって御利益があるということになってしまったら、それは順序が違う。最初に形のない、すがる対象足りえる存在があり、それを信心しやすいよう視覚化したものが仏像であって、聖職者が仏像を拝むのは仏や神様に対して正しいアプローチの仕方を知ってるから。ということになってるから。
寺や神社で拝んだものが、どんなものでも信仰の対象になってしまうのなら、俺達は何をありがたがって拝んでいるのだろうかという疑問が湧く。もしそれが堂々と行われれば、仕組みとしては壷や印鑑とか掛け軸を高額で売りつけるのと変わりませんよと宣言されたも同じ。俺はアニミズムなのでここらへんは同一のものに見えて仕方がないんですが、新興宗教と仏教の違いってのはここにあるんじゃないの。それこそ 『 「なにか人智を超えたもの」 が背後に存在してる』 という前提が担保。
たとえば新興宗教と仏教とで何が違うのってなったら、一番大事なポイントとなるのは歴史。もともと形もない目にも見えない、存在を確信するのが難しいものを流行らせようとするなら、それが信頼されてきた時間の長さを証拠、あるいは担保として宣伝するしかない。加えて損がないのも大事。良くて得になる、悪くても得にならない程度で済ますことが出来なければ、もともと存在しないものに対価を払おうとはしない。ここらへんがわかれば、 「最初は拝むだけでいいですから」 というのもわかってくる。だから拝むだけで言いですからに、この壷を、というフレーズが着くのは、広め方としては間違ってる。商売のそれとしては合ってるけど、宗教のそれとしては間違ってる。
じゃあ逆に歴史がまだ浅かったころはどうなのだろうか。
場所を媒介として想像が発生する。そしてその想像にどれだけ辻褄を合わせられるかでコンテンツの寿命が決まる。ここでいうコンテンツは創造物全てを指す。宗教、漫画、小説、映画。販促の単体キャラクターなんかもそうなんじゃないかと思う。たとえばイエス・キリストなんか単体キャラクターの成功例だよね。この表現ちょうおこられそう。ただ辻褄あわせの数が多ければ多いほど伸びるのは寿命でしかない。コンテンツを楽しむ人間の絶対数を増やすためにはキャッチーなものでないといけない。この二つは縦と横のベクトルで表すことが出来る。つまり長く流行るものには膨大な説明書がセットになっていなければならない一方で、それはアバウトなつくりにもなっていなければならない。当然、曖昧なところは紛糾を呼ぶが、なにぶん説明書が曖昧なので、解釈の上手い意見が通る。通った意見は新しい事実として説明書に追加される。そしてこんな事実もあったのかと驚きを呼び、それが繰り返され、コンテンツとしての鮮度はいつまでも保たれる。自己完結のリピート。まぁ膨大かつ曖昧な説明書を作るなんて、ものすごい才能と努力がいると思うけど。
でもその説明書を作る手間を面倒くせえってなって投げちゃったのが、最近流行ってるSNS形式のコンテンツ。あれは土壌だけ用意すれば、あとは勝手に自己完結を続ける。まだ現れてから数年しか経ってないけど、だから俺はこのSNS形式から、また新しい永久機関のコンテンツが出るんじゃないかとわくわくしてる。ようするに永遠に続くような社交場ってどんなんだろうと。
閑話休題。
数段落ほど余計な文章を挟んだけど、MK2さんの結論にはすこし違和感を覚える。というかなんか面倒になって投げた臭がする。
ああそうか。ここまで書いてわかった。萌えコンテンツを導入した寺っていうのは、寺のパロディなんだ。寺のメタですわね。だとすると、そこに死者を管理したり、ご利益を与えてくれる「背後のなんか」の存在が入る余地はない。明白ですからね。
とはいえ、実は逆に「お寺だからこれ成立した」っていう気分もちょっとあるんですよね。そっちについてはめんどくさいから考えないけど。過剰な違和感の演出っていう以外にも理由があって、その理由によって「お寺だからこそ寺ズッキュン成立した」っていう可能性。こっちはちょっと感覚でしかなくて、言語化の手がかりが見つからない。
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了法寺は元がお寺なら、それはメタにもパロにもならない。マックがウェンディーズの真似するようなもん。ちがうか。本職さんが本職でふざけたところで、それは文字通りふざけるなだ。全然関係ない畑の人間の真似をすることで初めて、メタやパロや皮肉になりえる。だから 『お寺だから成立した』 という後者のほうに理由があるはず。そして俺はこれを前者と全く逆の理由からだと考えたい。つまり 『萌えのパロディなんだ。萌えのメタ』 なわけで、 『そこに死者を管理したり、ご利益を与えてくれる「背後のなんか」の存在以外が入る余地はない。』 と。マックが31の真似してアイスフェアやりますよみたいなもん。ちなみにマック連呼してるけど好きなわけではない。年に5回くらいしか行かない。
寺は死者を正当な形で弔わなければいけないという前提がある。そこはたとえ冗談であっても侵されてはいけない。これがスタート地点だというのが答えになるのではないだろうか。なぜならそのスタート地点があるのにも関わらず、寺や神社という本来侵されてはいけない領域が、いわゆるメタ的パロ的 “萌えコンテンツ” として消費されているから。今では半分当たり前みたいな節もあるけど、実際、相当に衝撃的なことのはず。神聖な領域をサブカルとして消費する。俺がこれを見たのはたしか小学二年だかのときに見たセーラームーンが初めてだったと思うけど、子供心ながらに、そういうことってしていいものなのかとびっくりした。たぶん人類史で初めての出来事ではないだろうか。だって神聖な領域であるがゆえに、こういうことが今まで起きえなかったわけでしょう。
そして、今度はそのメタ的パロ的 “萌えコンテンツ” を、寺社がメタ的パロ的に再消費する。一見、原点に戻っただけのようにも思えるけど実は違う。これは回帰ではなくて、再包括。他には例を見ない形での、入れ子構造とも言える二重のメタファーがここに発生している。この入れ子的なメタ的パロ的コンテンツの構造によることで初めて、上手いこと 『侵してはいけない領域』 を避けて通っている。というか初めから通っていない。メタ化されたコンテンツの、さらにそのネタ元が 『侵してはいけない領域』 そのものだからだ。なぜこんなに都合良くいくのかといえば、これがネタ元に足し算をしていくタイプのメタ化パロ化の手法だから。もしこれが引き算式であったら、二回目は上手くいっていなかっただろうと思う。というかすごい批判を食らってそう・・・。
というわけで了法寺が寺社として成り立ってる理由でした。冒頭に散々なこと書いてるけど、こうして見てみると俺自身もそうだな・・・。ていうか閑話休題の前四段落くらいは、思いついたことを言いたいだけの脱線だった。
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最近 『
Gladiaters』 というブラゲを始めた。結構面白い。
すこし前に流行った天下一舞闘会シリーズに似てるかも。
休日に何時間も腰を据えてやっている人もいれば、平日の空き時間にチョロチョロとやっている人もいる。当然、前者のほうが圧倒的にレベルの上昇率も早いわけだけれど、何の問題もない。対戦や協力がないからだ。できるのはアイテムの譲渡やランキング、あとは雑談くらいか。やり込める時間による差が生じないのは、後発で始める人間にとっては嬉しい。擬似協力型のダンジョンゲーみたいな感じ。興味が湧いた方はどうぞ。
で、始めてから数日経った段階で、スキルの振り分けについて考察してみようとか思った。 「あれこれもしかして魔法使い最強じゃねぇか」 とも思ったので、それがきっかけみたいなもん。

上がレベルアップ時に表示されるスキル振り分け画面。1レベルごとに4ポイント。
これを項目ごとに整理すると
HP1,体力値が増加。
力1,物理攻撃力が増加。
2,アイテム所持数の増加(上限は20)。
速さ1,物理攻撃の命中率が増加。
2,物理攻撃の回避率が増加。
3,逃げる成功率が増加。
4,先制攻撃の成功率が増加。
防御1,物理防御力が増加。
魔力1,魔法攻撃力が増加。
2,魔法攻撃の命中率が増加。
3,魔法防御力が増加。
ということになる。
戦士の場合、優先的に上げる必要のある項目は、
HP・力・速さ・防御の4つ。
逆に魔法使いの場合は、
HP・力・速さ・防御・魔力の5つ。
これだけだと、単純に得られるスキルの絶対値を項目数で割ってみれば、戦士のほうがより強く育てられるように思える。ただここで大事なのは、実際に上げるメリットのある項目がどれかということだ。上げてもメリットの少ない、あるいは上げてもすぐにカウントストップしてしまう項目もある。
戦士を育てるという目で見てみる。HP・力・速さ・防御に関しては無条件で上げる必要がある。どれも優先順位にそこまでの差はない。どれも逐次的にかつ関数的に上げていかなければいけないという点も含めれば、レベルが上がれば上がるほど、スキル値不足になるとすら考えられる。なにより育てるにつれて、序盤で上げる必要のなかった魔法防御が、アイテム補正の限界もあって、割り振りの優先順位に割り込んでくる。どうにもコストパフォーマンスが悪い。
魔法使いを育てるという目で見てみる。HP・防御・魔力は無条件で上げる必要がある。だが力はどうだろう。そもそも物理攻撃力は上げる必要がない。その上、アイテム所持数を上げるとしても、5×20÷4=25レベル分もスキル値を割り振れば、カウントストップしていらない項目となる。次に速さに関して。これを上げるメリットがあるのは、回避率、逃げる成功率、先制攻撃率の3点。ただこれと防御を平行して上げるくらいなら、どちらかに偏って割り振ってしまったほうが、効率は格段に上がると思う。ただ敵のレベルが強くなってくるにつれて、紙装甲だと一撃死が避けられなくなってくるので、個人的には防御偏重がおすすめ。先制攻撃は言ってしまえば敵数値と絡んだ時点で運要素だし、あと逃げるはそんなに使わない。使ったが逃げられず死んでしまったとしても、復活分の資金と多少の経験値が引かれるだけなので、大して痛くない場合が多い。それ以前に、逃げるは戦いそれ自体には影響してこないからな。
というわけで、総合的にみれば 「硬い魔法使い」 が現行の最強であるようだ。
参考までに現在Lv.19の時点で、HP:1、防御:1、魔力:2で割り振り続けてる。
ただこの点 (スキル値の割り振りのワンパターン化) に関しては、
ブログのコメント欄で指摘があったようなので、改善が期待できそう。まぁ改善というか、それ以前に新しい機能が予定されてるっぽいこともあるし、最初から予期していことなのかもしれない。
でも最強だとかなんとかいったけど、現行の最強は現行の機能内でしか成立しないから、結果的にはどんな育て方しても楽しめるんだろうけどね。ただ対戦や協力を出すなら、同タイミングで相性機能なり何なりを追加しないといけない。まぁなんにしろ面白いので、もうしばらく遊びたいと思う。
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お前らが笑ったコピーをぺーinバイク板 112
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/bike/1289392848/398398 名前:774RR[sage] 投稿日:2010/11/15(月) 23:06:49 ID:EIfM2NmK [3/3] ・「須く」は全てと同じ意味だと思っていた ・「さわり」は導入部分のことだと思っていた ・「世界観」はその世界のが醸す雰囲気のことだと思っていた ・「姑息」は卑怯と同じ意味だと思っていた ・「檄を飛ばす」は叱咤激励することだと思っていた ・「知恵熱」は頭を使い過ぎて発熱することだと思っていた ・「募金する」は無償で金品を贈ることだと思っていた ・「憮然」は腹を立てている様だと思っていた ・「恣意的」は悪意を以てという意味だと思っていた ・「にやける」は口許が緩んでにやにやすることだと思っていた ・「敷居が高い」はなかなか手を出しにくいことだと思っていた ・「爆笑」は大笑いすることだと思っていた ・「たそがれる」は考え事をしてぼうっとすることだと思っていた ・「一姫二太郎」は女の子一人男の子二人の意味だと思っていた ・「性癖」は性的嗜好のことだと思っていた
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自分用まとめ。
須く:当然~すべきである。
さわり:浄瑠璃の流派により演じ異なった場所。転じて見所、要点。
世界観:世界についての見方、考え方。
姑息:一時の間に合わせ。その場しのぎ。
檄を飛ばす:自分の意見を世間に主張し広めること。
知恵熱:生後一歳くらいまでの乳児にみられる原因のわからない発熱。
募金する:寄付金などをつのって集めること。金品全般を指す場合は寄付。
憮然:失望してぼんやりとしている様子。
恣意的:その場その場の思いつき。
にやける:男が変にめかしこんだり、色っぽいようすをしたりする様子。
敷居が高い:不義理や不面目によって訪問しにくいと感じること。
爆笑:大勢の人がどっと笑うこと。また、その笑い。
たそがれる:日が暮れて薄暗くなる。盛りを過ぎて衰える。
一姫二太郎:子を持つならば、一番目は女の子で、二番目は男が良いということ。
性癖:性質上のかたより。くせ。
これで揚げ足を取ってくる人もいそうだなぁ。
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